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2016.06.23

車にはねられた経験から

web担当の佐野です。

 

何とも穏やかでないタイトルですみません。

 

そして、今回は「ふたごじてんしゃ」とは少し関係のない話になるかもしれません。

 

 

私は大学時代に2度、交通事故で車にはねられました。

 

これまで特に振り返ることもなかったのですが、

先日Facebookにて、自転車と車の事故について書かれた記事を読んだ時です。

 

「そういえば、私、はねられたなぁ」

 

と思い出しました(笑)

 

 

今日はその事故のこと、その経験を踏まえて「事故に遭わないために気をつけていること、気をつけて欲しいこと」を書きたいと思います。

 

 

1度目の交通事故

 

1度目は、大学3年生のときです。

 

1限目の授業は9:00から。

寝坊助だった私は、その日も自転車を飛ばし、急いで最寄駅に向かっていました。

 

大通りに面した交差点で、イライラしながら赤信号で止まっていました。

 

「早く青になれ…!!!授業に間に合わない…!!!」

 

 

交差する大通りの信号が赤になり、後3秒程度で、進行方向は青になる、と思いました。

 

青になった瞬間、だったと思います。

漕ぎ出した私の右腹に

突然、車のバンパーが見えました。

 

 

瞬間、全てがスローモーションになりました。

 

「もしかして、はねられるの?」

 

「ああ、レポートどうしよう」

 

「待って…待って… 私、死ぬのかな」

 

 

気づいたら、10メートル以上離れていたはずの交差点ど真ん中に うつぶせていました。

 

 

「あ、生きている」

 

よりも先に

 

「はっ!今日スカート!パンツ見える!」

 

が、最初に思ったことでした(笑)

 

 

信号は既に青になっていたものの、交差点の真ん中に私がいたため、沢山の車が発進できない状態でした。

 

それに気付き、慌てて立ち上がろうとしました。

でも、立てません。

 

 

腰が抜けていました。

 

 

匍匐前進で、ノロノロと交差点から脱出しようとしたところ、周りの方が抱き起こしてくださりました。

 

私をはねた車は、その場から走り去ろうとしたそうなのですが、目撃者が制止してくださったようです。

 

運転手から渡されたメモには、ミミズがのたくったような、ひどく震えた筆跡で、連絡先がかかれてありました。

 

私はというと、

此の期に及んでもレポートが気になりすぎていて(笑)、

「病院にいけ」という目撃者の助言を振り切り、再び自転車で最寄駅まで移動しようとしました(^_^;)

 

でも、自転車の軸となるメインフレームは折れ曲がっており、何度掛け直しても、チェーンが外れてダメでした。

 

結局、自転車は置いて、足を引きずりながら登校。

 

教授にレポートを手渡しし、

 

「さっき車にはねられて、病院に行きたいので帰ります」

 

と、まさかの報告をして帰りました。

後にも先にも、「車にはねられた」という早退理由を使ったのは、私だけだと思います(笑)

 

 

帰り道は、安心したのか、足が痛くてたまりませんでした。

よく見れば、羽織っていたジャケットは摩擦で破れ、ズボンもブーツもひどく擦れていました。

 

靭帯が伸びきっていました。

 

なぜ歩けていたんだろう、と、いまでも不思議です。

 

事故が起きてから、

ずっと頭が興奮していて、痛みもなく、怪我をしているのかどうかが自分ではわからなかったんです。

 

「事故に遭ったら、痛くなくても必ず病院に行け」と言われる理由がわかりました。

打ち所が悪く、頭の中などに損傷があった場合、自覚のないうちに突然倒れてしまう、なんてこともあるのです。

 

 

昼頃、ようやく警察に向かい事情聴取となりました。

 

私をはねた運転手さんは、事故があったことを隠そうとしました。

残されたメモに書かれていたのは、本人でなく、親戚の連絡先だったそうです。

 

警察の方の説得(というか、叱責)で、ようやく本人が出頭してくれましたが、

私が面通しするまで、事故にあったことを頑なに認めませんでした。

 

彼は免許停止中でした。

よく聞けば、私をはねた状況は、

「信号無視、追い越し禁止違反、免許停止」

と、散々でした。

 

最悪でした。

 

 

私をはねた時、きっとめちゃくちゃ怖くなったと思います。

 

人生終わった、と。

 

逃げてしまいたかったと思います。

(実際逃げようとしましたが)

 

いままで何事もなくやってきたのに、

何で、今日、どうして?!

 

 

きっとそう思ったと思います。

 

 

私もはねられてそう思いました。

 

 

気をつけてるつもりでも、

どこかで「自分は大丈夫」と思っているんだと。

 

事故にあった瞬間に

それまでの意識を振り返るのだと。

 

でも、それが出来るのは、

振り返ることが出来る「意識」があった時、

そして、生きていた時だけです。

 

 

2度目の交通事故

 

2度目は、原付バイクを運転していました。

 

自分と友達の分の昼ご飯を買いに、マクドナルドへ買い物に行った帰りでした。

 

1度事故に遭っていたため、信号にはかなり注意していました。

 

赤信号が青になり、並んでいた車とともに発進して数秒後。

 

並走していた車が、ウインカーも出さずに急に左折しました。

 

左後ろにいた私は、またも、あの嫌なスローモーションに襲われました。

 

「ああ、またはねられるのだ」

「どうか、どうか、意識がありますように」

 

そう思ったのが最後でした。

 

 

気づけば、また、地面にうつぶせていました。

 

駆け寄ってきたのは、運転していた車の助手席にいた女性でした。

 

「(よし、意識はハッキリしてる。)

  大丈夫です」

 

と、体を持ち上げたのですが、片方の視界が曇ります。

 

バタ、バタ、と、アスファルトに血が落ちました。

 

今回も痛みはありません。

顔のどこかが深く切れていたようでした。

足も思うように動きませんでした。

助手席の彼女は、自分の羽織っていた服を脱ぎ、私の目に当てがって止血してくれました。

高そうなカーディガンだったのに…

 

運転手の男性と、デート中だったのだと思います。道に迷い、慌てて左折したようでした。

 

救急車が到着して、「大丈夫です」と、気丈に振る舞っていましたが、

やはり前回と同じく、ひどく興奮して頭はパニックになっていました。

 

財布など入った鞄を持って救急車に乗るつもりが、手にはマクドナルドの紙袋を握りしめていました(^_^;)

 

「…荷物は、あの…、それだけですか?」

と、救急隊員の方に言われて我に返り、めちゃくちゃ恥ずかしかったのを覚えています。

 

 

勤めていた接客のアルバイトは辞めざるをえなくなりました。

目尻が裂けてしまい、顔半分は打撲で青黒く腫れあがり、とても見られるものではありませんでした。足も怪我しており、1ヶ月歩くのが不自由だったからです。

 

 

友達のために買ったハンバーガーは、ぐしゃぐしゃに潰れてしまっていました。

「お前、てりたま、卵潰れてるやんけー!」

 

と、車椅子の私にツッコミをした友人に

「命懸けのデリバリーになったわ!」

と、ツッコミ返したのを覚えています。

 

友人と冗談を言い合えたのは、

私が生きていたからです。

 

 

2度の事故にあって

 

1度目、2度目、

どちらも私には大きな過失はありません。

 

交通ルールは守っていました。

 

無理に割り込んだり、信号無視したり、危ないことはしていません。

 

でも、はねられました。

 

事故の後、保険屋さんに状況をあれこれ聞かれるのですが、ひどい対応の時もありました。

1番覚えているのは

 

「避けることは出来なかったのですか?」

 

と言われたことです。

 

正直、頭に来ました。なんで痛い目にあって、さらにこんな仕打ちをうけるんだ、と。

 

「おたく、ピッチングマシンの真前に立って球避けられるんですか?」

 

と言いたくなりました。

 

保険屋さんがなぜそんなことを言ったのか。

私が「完全停車していない」状況での事故だったから、過失があったのではないか、という意味でした。

保険屋さんには、事故の細かな状況はわかりませんから…。

 

もし、この時

 

携帯電話をいじりながらの事故だったら?

信号無視をしていたら?

無理な飛び出しをしていたら?

 

私はさらに痛い目にあっていたと思います。

 

 

交通事故にあうと、

加害者も、被害者も、一瞬で人生が変わってしまいます。

 

なぜ?なぜこんなことに?

 

ゆっくり考える余裕もなく、警察や病院、保険屋さんと、あれこれ手続きもしなければなりません。

何より、その一瞬で、これまでのように普通に生活できない日々を送るハメになります。

 

事故にあったことで、交通ルールを守ることが如何に大切か、

そして、自分だけでなく、他人が同じように守ってくれないと、「安全」は保障されないことがとてもよく分かりました。

 

今日たまたま信号無視して事故に遭わなかったのは、私以外の方が、ルールを守ってくれていたから。

 

今日たまたま、角で出会い頭にぶつからずにすんだのは、私以外の方も、そこに注意してくれていたから。

 

普段そう思っていても、「慌てている」状況は、それらの判断を鈍らせます。

また、イヤホンなどで、外部の音を遮断してしまうことも、状況判断が出来ず、危険に対して反応が遅れます。

 

 

私が事故に遭ったと知らせを聞いた、私の親は、きっと生きた心地がしなかったことでしょう。

私も母になり、自身の子ども達が事故にあうなどと、想像したくありません。

 

 

事故に遭わないために

 

私の父は、車の運転が仕事です。

運転するときに注意するポイントを、いつも口を酸っぱくして言います。

 

車を運転している方にとって、

「歩行者だから守られる。車側が気をつけて当然。」

というような態度で運転したり歩いている方や、

「車を運転したことがない」という方の動きは、本当に怖いのです。

 

代表的なものは信号無視や飛び出しですね。

あとは、車と車の間を通り抜け、反対側の道路へと渡ろうとしたり。

 

「きっと止まってくれるだろう」

「きっと車は曲がっては来ないだろう」

 

という根拠のない予測。または、予測すらなく、「事故にあうはずがない」という思い込み。

 

 

違うんです。

 

 

誰が交通ルールを破っているかなんて、わからないのです。

 

他人が絶対にルールを守っている、と、どうして思えるのでしょう?

 

「あそこに人が隠れているかもしれない」

「自転車が飛び出してくるかもしれない」

「前の車が急停止するかもしれない」

 

言い方は悪いですが、運転する時は「他人の運転を信用しすぎず、常に危険がある、と意識しておくこと」が必要です。

 

これは、1度目の事故に言えることです。

自分が信号を守っていても、相手が守ってくれなくては、事故は防げません。

 

 

 

そしてもう一つ。

周りの運転者に、

「自分の存在を認識してもらうこと」

が、とてもとても大事なんです。

 

私の2度目の事故は、まさに、相手の運転手さんが、私の存在を認識していなかったこと、で起こった事故です。

 

これはすべての方にしていただきたいと思っていることなのですが、

「車や自転車の運転手さんと目を合わせてください」

ミラー越しで構いません。

目を合わせることによって、自分の存在を認識してもらえます。自分が運転する側の時もそうです。「ちゃんと見えてるよ」と教えてあげてください。

 

 

交通ルールは、皆が守ってくれていることが前提のものですが、

「ルールを守っていない人がどこにいるか分からない」

ということを意識することで、危険は随分回避出来るはずです。

 

 

今日買い物帰りにも、イヤホンをしたまま、信号無視をしている自転車を見かけました。

信号無視をしたその先には、ベビーカーが迫っていました。

いち早く、お母さんが気付き止まったので、何も起こることはありませんでした。

 

私には、この自転車の運転手が

「いつ事故に遭ってもいいです」

というふうに見えて仕方ありません。

 

事故に遭ったとき、車が悪いと言われがちです。でも、このような運転は、事故を自身で誘発していると思いますし、はねられても仕方ないとさえ思ってしまうんです。

 

ルールを守らないことは

「自身の安全を放棄し、命を他人任せにしている」

ことに他なりません。

 

今日大丈夫だったから、明日も大丈夫だという保障はどこにもないんです。

 

 

 

脅かすようなことばかり書いてしまいましたが、交通安全に関しては、「怖がり過ぎる」くらいでもちょうどいいと、私は思っています。

 

時間がない、と慌てることは沢山あります。でも、慌てたところで取り戻せる時間はどの程度でしょう?

命は決して取り戻せません。

 

周りの大切な人に「加害者」や「被害者」なんて経験してほしくありません。

 

今日自転車でお出かけする方、明日歩いて通勤される方、毎日車を運転されている方、少しでも「自分の命を他人任せにしない」ことを意識される方が増えることを願います。

 

 

※ 一部のルールを守るのが難しい環境の方がいることも承知しています。(預ける先もなく自転車4人乗りしか手段がない、といった、現状の法整備ではカバー仕切れていないパターンのことです。) 

法整備が追いつかないとどうすることも出来ない、といった問題については、また別の機会に書きたいと思います。

 

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