2輪の子ども乗せ自転車と彼女との想い出
想い出がいっぱいつまった、わたしの初めての2輪子ども乗せ自転車。
「わたしの」っていうのがポイント。
「こどもの為の」じゃないのよ。
私が自由になるために「わたし」をささえてくれた「わたしの」自転車。
大げさではなく、すべてはこの自転車がわたしの人生を変えたといっても、言い過ぎじゃないとおもう。
大切なたいせつな相棒だった、大好きなこの自転車。
長男とわたしの自転車の想い出
長男をさずかって、1才をすぎたころ
この当時、電動なしで10万近くしたこの自転車は、わたしにとって超あこがれのアイテムでした。
ふらっか~ずの開発秘話に感動したのもこの頃。
「あー 子どもと過ごす時間を、こんなところで支えてくれるなんて、なんて素敵な世界なんだー」 子ども乗せ自転車の新しい時代の風を感じ、感動したたのもこの頃。
義父母が「大切な孫を自転車に乗せるのは危険!」と反対しながらも、行動範囲が広がるならとイオンで電動なしの前後に乗せることができる「子ども乗せ自転車」を買ってくれて超うれしかったのを今でも覚えています。
そして、この自転車を買うときに、一緒にあれこれよく相談しあったマママ友がいました。
彼女はとても面倒見がよく、アグレッシブで、よく笑う人でした。
彼女は誰にでもよく声をかけてくれ、お花見や自宅ランチなど、いろんな企画をしては呼んでくれて、輪を作りづつけてくれました。
彼女のおかげで、わたしは知らない土地でもママとの交流をもつことができました。
その彼女と、どこの自転車のデザインがいいのか、どこの自転車なら安いのか。
そんな話をよくしました。
熟慮を重ね、お互いお気に入りをみつけることができました。
わたしは黒のじてんしゃ。
彼女は赤のじてんしゃ。
グループ内でそれぞれが子ども乗せ自転車を持つようになり、あちこちの公園へ行きました。
少し高い買い物だったけれど、買ってよかったねぇ、こんなにも出来る事が増えてたのしいねえ そんな話をしたのを覚えています。
なかなかママ友をつくるのが苦手な私でしたが、数組のママ友と少し離れた大きな公園へいくのは本当にたのしかったな。
自然にふれさせてあげられたという、うれしさと満足感があった。
「子どもを、ちゃんとお友達と遊ばせてあげられた」という、義務感からの解放があった。
でかけることができる自転車(ツール)と彼女のネットワークのおかげで、わたしは知らない土地でもママとの交流をもつことができました。
そんな、いろんな世界に私をひっぱりだしてくれた彼女。
長男が大きくなり疎遠になっていたけれど、交差点でばったり会うと、いつも向こう側から手をふって「みっちゃーん!元気してるーー?? いま、何してるのー?」って近況をいつも楽しそうにきいてくれた彼女です。
双子がうまれて
この自転車で長男を育て、自由にどこへでも行ける感動を味わいました。
でも、双子ではそれが叶えられない。 規格外のつらさにもがきました。
あれほど、わたしに色々な世界をみせてくれた大好きな黒の自転車。
わたしがしたいこと、行きたいところをサポートしてくれたのに
双子になった途端、わたしは拒否されているような気持ちさえおこりました。
とても悲しかった。
ここまで真逆になってしまうことが、とても悲しかった。
黒い自転車が嫌いになることが嫌だった。
わたしは、違う道を探そうとおもいました。
そして「今」に至ります。
すすむこと
いっつもいろんな事に興味をもって突き進んでいた彼女は、数年前に突然病にたおれ、そのまま帰らぬ人となりました。
いま、もし会えたら、きっと今も忙しく色んなことに興味をもってチャレンジしてるんだろうな。
そして、「みっちゃーん! みたでー なんか面白い事してるやん!」って笑顔で声をかけてくれるんだろうな。
この2輪自転車を見ると、いろんな想い出がよみがえります。
「いやだなぁ いやだなぁ」って、大好きな黒い自転車のことをだましだまし使うのではなく
好きなものは好きなまま、でも今の私がそれを望んでいないなら次へ進む勇気を持っていて本当によかったとおもいます。
「こんな風になりたいねん。」それだけで突き進んできました。
そして、彼女の死は私をより一層後悔しない生き方へすすませてくれました。
わたしの生き方を考えるきっかけをくれた子ども達も大きくなり、それぞれが自転車に乗るようになりました。
我が家には、自転車を何台もおくことができないので、そろそろこの自転車を処分しなくてはならない日がきました。
なんども処分をやめようかとおもったけれど、次へいくための区切りかな。
いろんなことに、ありがとう。
ちょっと後ろ髪ひかれるけれど、それでいいんだよね。