あの頃の私をつくってしまっている
3月23日 お昼ごろ、また発売延期のお知らせをUPすることになった。
これで何度目だろう。
メーカー担当者もメーカートップも、手を尽くしている。
それを私は知っているから、納得する。納得するしかない。
でも、一方的にこの情報を受け取るしかない、ほんとうに日々移動に困っている人は、どう受け止めればいいのだろう。
OGKさんがみつかる数年まえ、ふたごじてんしゃを量産できるメーカーを探していたころ
「ここなら引き受けてくれるかもしれない」と毎回期待をし
全力で交渉にいき、だけど玉砕し
それでもこんな自転車が私の見える世界で走ってくれることが諦めきれず
「なんでうまく進まれへんねやろ」
「わたしの何がまちがってるんやろう」
「どうやったら、これが叶うようになるんやろう」っておもいながら
時には、「超えられない壁があるのだ」と思い、泣きながら車のハンドルをにぎり
双子がまつ保育園へ、お迎えの帰路を急いだのを思い出します。
藁をもつかむおもいだった あの頃のわたし。
いまは、あの頃の私をつくってしまっているという申し訳なさ。
目の前に双子が乗れる自転車が見えてるのに
試乗だってしたことがあるのに
発売するよーっていつも発表しているのに
株式会社ふたごじてんしゃという企業が発売日を発表しているのに
製造販売メーカーもしっかりしてる企業なのに
それでも、待ってもまっても自分のもとにきてくれない苛立ち
これがあったら出掛けられるのに・・・
どんどん私の生活はしんどくなるのに・・・
私はそうおもって自分でつくった。中原製ふたごじてんしゃをつくった。
そして、みんなと嬉しいを共有したくて製品化を目指してきた。
すると、同じようにおもってくれる仲間が日本全国にできた。
だから、こうやって進んでこれた。
わたしが、手に入らなくて苛立ち悲しんだことがあるように
おなじことをしてしまっている申し訳なさ。
どうしても、あの頃の私と重ね合わせてしまう。
それでもなお、待ってくれるみんなと一緒に、わたしもふたごじてんしゃが世にでることを切に願っている。
願うだけでなく、わたしはふたごじてんしゃを世に出すために動ける、一番身近な存在なのだから、出来る限りのことを精一杯やりたい。
移動がかなうこと、自分が行きたい場所へいけること
子どもができる前なら当たり前だったこと
とっても簡単そうなことだからこそ、できないことについて
ちょっと我慢すればいいのかもしれない
って思わないでほしい。
移動が簡単にできないことを侮らないでほしい。
外とつながれることが、これほど「素晴らしいこと」って
こんなに不自由になるまで知らなかった。
そして、いま私はとても自由になった。
その楽しさや嬉しさを知っているからこそ、わたしは最後までみとどけたい。
どうしてもルールに従わなければならないことがあるし
どうしても変えられないことはあるけれど
でも、どうしたらあなたの心に寄り添えるのか考えたい。
そして、私がわかっていないところはきっともっともっと沢山あるから
どうか教えてほしい。
あなたには当たり前に子を生み育てる事をよろこべるようになってほしい。
そのためにも、あなたが自由に外へ出れるよう私はがんばりたい。